攻撃行動計測システム ARMU: Aggression Response Meter U
ARMU開発秘話
今から25年ほど前(1998年頃)、私たちはダイオキシンを胎盤経由で摂取したマウスの産仔に異常な攻撃行動が発現することを見いだし、ダイオキシンによる脳障害(ダイオキシン脳症)と命名し、厚労省に報告しました。その一連の研究で、ダイオキシンの摂取量と攻撃性強度の関係を調べる必要がありましたが、当時は攻撃行動試験といえばレジデント-イントルーダー試験ばかりで、私たちもこの試験を行わざるを得ませんでした。しかし、行動学研究を始めたばかりの素人であった私たちは、この手法の決定的な欠点に驚かされることになりました。何と、世界中で行われているレジデント-イントルーダー試験はメス動物の攻撃行動を計測することができなかったのです。なぜならレジデント-イントルーダー試験は、男性ホルモンの作用で起こる性的攻撃行動の試験法だからです。私たちは、性行動ではなくて純粋に精神的な理由で起こる攻撃行動の計測手段を探しましたが、そのような行動学は存在しませんでした。「だったら、自分たちで作るしかないでしょ!」そう思ってしまったのが、ARMUが誕生するきっかけでした。実は、私たちは脳解剖学者だったので、行動学には馴染みが薄く、新しい行動学を確立することがどれほど困難なことなのか、よく理解していなかったのです。知識が少ない若い研究者がとんでもない発見をすることがよくありますが、それと似ていたと思います。
私たちは、ダイオキシン脳症マウスには、ちょっと触っただけで実験者に噛み付くような荒々しい性質が存在することに注目していました。実験動物は穏やかな性格に改良されていますので、正常な動物ならば、実験者が触ったくらいの刺激は無視します。ところが、ダイオキシン脳症マウスは常にイライラしていて、些細な刺激に対して簡単に癇癪を起こして攻撃行動に出ます。精神医学では、このような些細なことに激昂するような症状を“易怒性(Irritability)”と呼びます。精神病患者さんが些細な事で癇癪を起こし、周囲の人に当たり散らしたり、大声で叫ぶようなことがありますが、易怒性があるマウスの症状は、このような精神疾患の患者さんにそっくりです。ダイオキシン脳症マウスをはじめ、精神疾患モデルマウスは、実験者だけではなく、身体に触れる物なら何にでも噛みつきます。私たちはこの物に対する攻撃行動を“対物攻撃行動(ウィキペディア)”と呼ぶことにしました。(ビデオをごらんください。)
些細な刺激に対する正常マウスと精神疾患モデルマウスの行動差
私たちは、この対物攻撃行動を計測する方法を模索する中で、「棒で軽く触って癇癪を起こさせ、癇癪が蓄積したところで、今度は目の前で棒を動かし、それに噛み付く力を機械的に計測しよう。」というアイデアに行き着きました。私たちは、簡単な設計図を描き、行動学装置の製作を請け負っている企業に装置を作ってもらいました。その装置を使って、胎児期にダイオキシンを胎盤経由で受け取った動物の攻撃行動を調べました。今のARMUに比較すると非常に幼稚な装置ではありましたが、それでも、胎児期にダイオキシンを摂取した産仔が思春期に易怒性を発症すること、メスとオスでは攻撃行動の発現に差があることを明確に示すことができました。(口岩俊子 他、鹿児島純心女子大学大学院紀要、2008)
私たちが作製した装置は、性能の面でいろいろな不都合がありましたので、研究機器を製造販売している企業(室町機械株式会社)に改良を依頼しました。その時、鹿児島大学に来てくださったのが、当時の開発部長だった村上 理(むらかみおさむ)さんで、それが村上さんとの最初の出会い、と言うよりは、“運命の出会い”でした。村上さんは、厳しい表情で装置を細かくご覧になり、思いがけない言葉を発しました。「一緒にやりましょう。」村上さんは、注文を受けるのではなく、「新しい装置を一緒に開発しましょう。」と言ってくださったのです。行動実験装置開発の専門家が無償で装置を改良してくださるというのですから、私たちが喜んだのは言うに及びません。それから私たちと村上さんの三人四脚が始まり、東京と鹿児島で装置の改良と動物を使った動作試験のキャッチボールが繰り返されました。開発には長い年月を要し、2011年に3人の連名で特許登録をし、2014年に室町機械(株)から製品の上市を果たしました。ARMの販売台数は予想ほどには伸びませんでしたが、これによりARMの存在が広く世界に知れ渡り、向精神薬の創薬に関する総説論文には“ARM試験が必須である” という論調も見られるようになりました。
しかし、村上さんが社長職を退いたあとの2020年8月、室町機械(株)は突然「ARMの製造販売を中止する」と、鹿児島大学と私たちに通達してきました。村上さんを失った会社の苦悩は推察できますが、機械の開発に長い年月を掛けて研究を進めてきた私たちにとってはまさに青天の霹靂でした。私たちは、村上さん(現:東京都医学総合研究所)に相談し、室町機械(株)に代わってARMの製造販売を請け負ってくれる会社を探しました。その結果、その翌月(2020年9月)、バイオリサーチセンター株式会社(BRC)が後継機開発に名乗りを上げてくださり、ARMの再開発が始動することになりました。しかし、ARMが非常に特殊な精密機械であることもあり、対物攻撃行動を検出する技術をBRC(株)が新たに構築することは難しく、再開発は遅々として進展しない状態が続きました。
そのような厳しい状態が続く中、村上さんがARMを再現してくださることを申し出て下さり、自らExpResAP を立ちあげ、“ARM” 改め “ARMU” として、製品をリリースしてくださることになりました。ARMUは、特許権をもつ村上さん自身の手によって再現された奇蹟の装置です。室町機械時代に培われた研ぎ澄まされた技術の結晶とも言えるARMUは、まさに“村上ブランド”そのものです。共同特許権者として、私たちは生まれ変わったARMUに強い誇りを感じています。
ExpResAP製ARMU
ARMU(stand-alone type)は今年(2023年)の秋以降にExpResAPからリリースされる予定です。ARMU本体とパソコンを接続し、付属のソフトウェアを使用して試験、記録を行います。試験中のデータはディスプレイ上に試行毎にグラフと計測値で表示されますので、実験者は毎回(1セッション30回)の試技ごとにデータを確認することができます。実験データのすべてが自動保存されますので、必要があればセッション終了後にそのすべてを閲覧することができ、計測値をCSVファイルにエクスポートすることでエクセル等の表計算ソフトで実験データの整理と評価を行うことができます。
ARMUにはADInstruments社製のデータ収録解析システムPowerLabで制御するシステム(ARMU for PowerLab)もあります。操作方法は基本的にARMUと変わりがありませんが、ARMU本体の制御・データ記録・データ解析をPowerLabで行います。デジタルI/O機能つきPowerLabを既にお持ちの方で、データ処理もエクセルファイルではなくPowerLabで行いたい方にはARMU for PowerLabを推奨いたします。ARMU試験は、動物飼育室内で実施する必要がありますので、PowerLabを飼育室内に持ち込めない事情がある方にはstand-alone typeのARMUをお薦めします。
ARMUのシステム構成は、ARMUの旧機である室町機械製ARMとほぼ同じですので、室町機械のARM解説ビデオを参考にしてください。大学院生用に作成したビデオですが、研究者の方にもご覧頂いています。ARMUでは、ビデオに登場する3種類のチャンバーの他に、体重20g前後の小型マウスのためのチャンバーが用意されています。
ARMUの構造・計測の仕組み・実験プロトコール・挑発セッションと計測セッション
ARMU試験
1)ARMUは対物攻撃行動を定量する
現在の攻撃行動試験の主流はレジデント-イントルーダー試験ですが、この試験はオス動物の “性行動の一部として発現する攻撃行動” を計測する試験です。オス動物がメスやテリトリーを守るために、ホームケージに侵入してくる他のオス(イントルーダー)に対して家主のオス(レジデント)が攻撃を仕掛ける様子を実験者が観察し、動物の攻撃性の強さを評価します。これに対し、ARMUは、実験動物(マウス)の“イライラや怒り(易怒性)” に起因して発現する攻撃行動を計測する“心の状態を探る装置”です。(ビデオをご覧下さい。)
レジデント-イントルーダー試験と対物攻撃行動試験
ARMUによる試験は2部構成で行われます。最初に“挑発セッション”を行い、次に“計測セッション”を行います。挑発セッションは、マウスの後ろ足を2本の太い金属棒で軽く突き上げ、動物のイライラ(怒り)を誘います。金属棒の動きは比較的遅いので、痛みを感じることはなく、正常なマウスなら、それを気にすることはありません。ところが、精神疾患モデルマウスは、その些細な刺激が煩わしく感じるのでしょう。何度も何度もそれを繰り返されると、じっとしていられず、後肢で激しく棒を蹴り払います。これを30回(5分)も繰り返されるとマウスの怒りは頂点に達し、次の “計測セッション”では、顎の下に上昇してくる2本の棒のいずれかに激しく噛みつきます。棒は15mm間隔で2本あり、顎の両脇で停止するので、マウスの頭部を強く突き上げることはありません。正常な動物では床下から上昇してくる棒には無関心ですが、精神疾患モデルマウスはそれに我慢がならず噛みつきます。ストレスモデルマウスにおいて、“ストレス負荷期間の長さ”と“噛みつき強度”との間には強い相関関係があることが証明されていますので、心の病が強ければ強いほど、強い力で激しく噛み付くと考えられています。(Kuchiiwa & Kuchiiwa, 2014)
ARMUは、マウスの棒に噛み付く攻撃行動(対物攻撃行動)を力学的に自動計測しますので、実験結果に主観が入り込む余地がありません。ARMUの試験結果は、メスの性周期にも影響を受けませんので、攻撃行動の雌雄差検出が容易です。向精神薬は男女で効き方が違うという報告がありますが、ARMUを用いれば、その事実は明瞭に見えてきます。
正常マウスの挑発セッション
正常マウスの計測セッション
精神異常モデルマウスの挑発セッション
精神異常モデルマウスの計測セッション
2)ARMUの使用法
@ARMUの設置と設定

ARMU実験は、マウスの居住空間内で実施する必要があります。実験前に動物飼育室から実験室までマウスを運んでしまうと、マウスに余計なストレスがかかってしまいますので、ARMUは動物飼育室内に設置してください。ARMUは、刺激棒の上昇速度が100mm/s、床から約10 mmの高さで1.5秒間停止するように設定されています。(上昇時の棒の振動が収まるまで0.5秒間待機した後に1秒間計測します。)また、1セッション内に、この動作を10秒間隔で30回、5分間繰り返すようにプログラムされています。この設定は何年にもわたる厖大な実験データをもとにして決定されたものです。世界中の研究者が画一的条件下で実験を行うことが必要ですので、特別な理由がない限り、この設定のままで実験を実施してください。
Aマウスの飼育と床替え
実験者は、頻繁にマウスの飼育室に出入りし、マウスの世話を自分で行い、空間を共有する時間を長く作ってください。マウスに自分の臭いを記憶してもらい、触られても不安を抱かない相互関係を築きます。床替えの時には素手でマウスの尻尾の付け根を掴んで新しい清潔なケージに移動しますが、この動作が、動物をチャンバーに導き入れる動作と共通です。マウスの飼育ケージ内に、チャンバーと同じ大きさの円筒を入れておくと、マウスはその円筒に出入りし、円筒を遊具として遊びます。
Bチャンバーへの導入

実験開始前にマウスをチャンバー内に導き入れます。マウスの尻尾の付け根を掴んで持ち上げ、手のひらにマウスを載せ、鼻先をチャンバーの入口に据えます。すると、マウスは自分からチャンバー内に入っていきます。もし、チャンバー内に入ってくれないときは、無理にチャンバーに入れてはなりません。実験前にマウスにストレスを与えてしまうと、実験データに影響が現れます。余計なストレスを与えてしまった場合は、そのマウスのその日の実験は中止すべきです。(下のビデオの後半にマウスのチャンバー導入法の解説があります。)
Cチャンバー内のマウスの探索行動が一段落し、落ち着いた状態になるまで数分間待ちます。探索行動が長く続くようなら、その日の実験は中止にした方が良いでしょう。
Dマウスが落ち着いたら“挑発セッション”を開始します。移動装置のグリップを掴み、手動で刺激棒を後肢の足底の位置に移動します。ARMUの開始ボタンを押すと、棒が上昇し、マウスの足底または腹部を押し上げます。刺激棒は1秒間停止したあと下降し、1回の挑発が終了します。その9秒後に次の刺激棒上昇が始まりますので、それまでに動物の動きを観察し、同様に後肢の位置まで刺激棒を移動させます。これを30回、5分間続けます。
E次に、間を置かずに、“計測セッシンを”開始します。要領は“挑発セッション”と同じですが、刺激棒の上昇位置はマウスの目の位置です。ARMUの開始ボタンを押すと、刺激棒が上昇し、マウスの顎の両側に棒が上昇してきます。マウスの頭が上がっていれば、刺激棒はマウスに接触しません。頭が下がっていれば、2本の刺激棒はマウスの顎の両脇を上昇します。マウスが左右どちらかを向いていれば、刺激棒のうちの1本がマウスの顎を押し上げます。動物に易怒性が発症していれば、毎回のように、刺激棒に噛みつきます。正常なマウスは刺激棒の動きを無視します。弱い易怒性を発症し掛かっているマウスは噛み付いたり、無視したりですが、刺激棒を噛んだとしても、大きな数値は現れません。したがって、易怒性が弱い精神疾患モデルマウスは、攻撃行動強度の増強よりも攻撃行動発現頻度が高くなる傾向が現れやすくなります。


F実験者は、毎回の刺激においてマウスの行動を観察し、マウスが刺激棒に噛み付いたと判断した時にはresponse button(攻撃行動記録ボタン)を押します。攻撃行動が発現したと判断する条件は、次の3項目が満たされたときです。@実験者が目視下にマウスが棒に噛み付いたと感じた時。Aディスプレイに表示されたグラフが明瞭に攻撃行動特有の波形を示している時。Bデイスプレイ上に3 mNs 以上の数値が表示された時。人間の目では、マウスの攻撃行動の有無を正確には判断することはできません。噛み付いたように見えても、実際には噛み付いていないことがよくあります。3 mNs を基準値としているのは、マウスが刺激棒に噛み付かなくても、刺激棒に触れただけで荷重センサーがその動きを検出してしまうからです。噛み付かなければ3mNs以上の数値にはならないので、3 mNs を攻撃行動発現の基準としています。
注)3mNs は体重が30g以上のマウスを使用した場合の基準です。小さなマウスを使用するときには、数値を小さくする必要があると思われます。
G実験者は、毎回の刺激が正しく行われたかどうかを判断する必要があります。下のような場合には error button(無効ボタン)を押し、無効刺激として処理します。無効ボタンが押されるとARMUは刺激を再度やり直します。無効刺激が1セッション中に6回以上発生した時点でその実験は中止にした方が良いでしょう。その動物の実験は日を改めて実施します。下のようなことが発生した場合には無効刺激と判断します。
@)マウスがTuggingをしたときに,実験者が移動用レバーを抑えていた。
A)刺激棒が上昇し始めた時にマウスが方向転換をし、刺激棒に噛みつけない状態になった。
B)刺激棒にマウスが噛み付いている時に、実験者が移動用レバーを動かしてしまった。
C)マウスが実験中に探索行動を始め、刺激棒の動きに無関心になってしまった。
D)マウスが仰向けの姿勢を取るなど、刺激棒に噛に付くことができない姿勢の時に刺激棒が上昇してしまった。(ビデオをご覧下さい)
攻撃行動発現判断の基準・試技無効の基準・マウスの導入・防尿シート
ARMU試験における留意点
1)ARMU実験を行う場所は動物飼育室内です。
前述しましたが、ARMUは動物飼育室内に設置し、実験は動物飼育室内で行ってください。攻撃行動の前にマウスを他の部屋に移動すると、マウスは不安を感じます(急性ストレスが負荷されます)。ARMUはマウスの心の状態を検出する装置です。ARMUの攻撃行動計測精度が高いので、そのような些細と思えるようなことが数値に大きな影響を与えてしまいます。
2)実験者はマウスと信頼関係を築いてください。
実験者自体がマウスのストレスの対象となってしまったら、もう実験にはなりません。実験者はマウスとの信頼関係を築く必要があります。動物の世話を他人に任せるのではなく、自分でケージの床替えをしてください。尻尾を掴んでケージを移動する動作は、ARMUのチャンバーにマウスを収容するときの動作と同じなので、実験時にマウスに不安(急性ストレス)を与えないで済みます。そして、実験者はできる限り動物飼育室内に長い時間滞在し、マウスと空間を共有し、信頼関係を築いてください。マウスと実験者の関係が良ければ良いほど、実験データが美しくまとまります。
不衛生かも知れませんが、グローブを着けずにマウスを素手で扱うことをお薦めします。慣れ親しんだ実験者の臭いはマウスにとっては安心の臭いです。実験者がグローブを着けてマウスを取り扱うと、攻撃行動が増強することがあります。下の写真とグラフは、マウスと良い相互関係を築いている実験者による生理食塩水腹腔内注射実験です。グローブを着けてマウスを保定すると、注射後の攻撃行動が有意に増強しました。
マウスは天敵である捕食動物の臭いを嫌いますが、実験者が自宅で飼っているネコやイヌの臭いはストレスにはなりません。毎日実験者の臭いを嗅いでいれば、犬猫の臭いも実験者の臭いの一部です。

3)実験中に部外者が実験室に入室するのは御法度です。
マウスは新参者に対して警戒心を持ちます。普段から慣れ親しんでいない人物が動物飼育室に入室するとマウスは動揺し,攻撃行動が強化され、データがばらつきます。そのような事態が発生した場合には、日を改めて実験をやり直してください。
4)普段とは異なる騒音や臭気には注意を払ってください。
精神疾患モデルマウスは、些細な事に気分を荒げる性質を持っていますので、実験室の周囲で発せられる普段とは異なる騒音や臭気には敏感に反応します。人間では気付けないような事象が精神疾患モデルマウスにはストレスとなることがありますので、実験データに不自然な数字が現れることがあれば、検証が必要です。ラットの臭いが飼育室内に流入するようなマウスの飼育室は、最悪です。
5)攻撃行動のデータはグループ単位で評価します。
精神疾患モデルマウスの気分は日々不安定で、気分が良い日もあれば、塞ぎ込んでいる日もあります。そのような動物の対物攻撃行動をARMUを用いて連日計測すると、数値は日々乱高下という状態になります。一昨日は15mNsだったが、昨日は20mNs、そして今日は10mNs、このような数字が並ぶと、「一体何を計っているんだ?」という気がしてきます。個々の個体の気分は乱高下していますので、これはこれで正しい数値なのですが、1個体に注目してしまうと、真実が見えにくくなります。しかし、グループ単位で動物の攻撃行動を評価する実験系では、気分が高揚する個体と低迷する個体がありますので、互いに相殺され、グループ全体としての変化が見えやすくなります。例えば向精神薬の薬効実験では、10匹の実験群と10匹の対照群を使用し、投薬前と投薬後の10匹平均値を比較します。薬物に効果があれば、すべての個体で攻撃行動が抑制されますので投薬の前後で明瞭な有意差がでますし、対照群では、投薬後に攻撃行動が強化される個体と抑制される個体がほぼ半々となりますので、vehicle投与の前後で有意差は現れません。

上のデータ表とグラフをご覧下さい。ある研究機関から依頼を受けた “心を鎮めるサプリメント”の候補物質2種類の検証データです。ストレス疾患モデル動物を使用し実験を行いました。サンプルBは、投与前と投与後で有意差があるので、心を鎮める効果があると推定されます。しかし、サンプルAと対照群の生理食塩水には効果がありません。サンプルAと整理食塩水のデータ表を見ると、投与後の数値が、投与前に比較して50%以上増加または減少した個体が存在します。驚くかも知れませんが、これが精神疾患モデル動物の精神症状の特徴である気分の乱高下です。注射をされたことで気が荒立っている個体もいれば、逆に落ち込んでいる個体もいるので、10例の平均値には注射前と後で有意差が現れません。それに対してサンプルBは、10例すべての個体で攻撃行動が抑制されています。ARMUは非常に感度が高いので、投与した物質に心を動かす作用があれば、それを高精度で検出します。
6)チャンバーの洗浄
マウス用チャンバーは、原則として、マウスを交替するごとに新しいチャンバーに替えますが、同一ケージ内で群飼いをしているマウスを続けて計測する場合は、必ずしも交換する必要はなさそうです。ただ、脱糞や排尿があった場合は取り替えた方が、実験者としては気分的に落ち着きます。実験終了後は、食器洗い程度に普通に洗浄すれば良いと思います。同じ飼育室内に同居しているマウスたちなので、他のマウスが使用したチャンバーに反応することはありません。
ARMUにできること
1)情動性攻撃行動(Emotional aggressive behavior)を定量的に計測できます。
ARMUは、マウスの対物攻撃行動の強度と発現頻度を計測し、易怒性(苛立ちirritabilityに起因する爆発的な怒り)を持つマウスの精神状態を評価します。換言すると、精神疾患モデルマウスの心の中に潜むイライラや怒りを情動性攻撃行動(対物攻撃行動)として引き出し、それを指標にマウスの精神症状の重症度(intensity of the irritability)を評価します。
下のグラフは、生後4週において集団飼育から個別飼育を始め、7週間の対物攻撃行動の変化を追跡し、さらにその後、集団飼育に戻して2週間の攻撃行動の変化を調べたものです。個別飼育環境下ではマウスに孤独ストレスが負荷され、ストレス症状がどんどん悪化していきます。個別飼育1週間ですでにストレス症状発現が検出され、ストレス負荷期間中にほぼ直線的に症状が悪化していく様子が見て取れます。隔離7週を過ぎたところで再度集団飼育に戻すと、2週間後には正常状態に戻ったことが確認されました。

2)マウスをスクリーニングします。
同じ条件で作製された精神疾患モデルマウスが常に同じ精神症状を発現するとは限りません。例えば、ストレス負荷量が同じであっても、固体によってストレス症状の発現強度はバラバラです。向精神薬の薬効評価試験を行うときなどは、個体によって易怒性がバラバラだと実験データにも影響があらわれ、真実が見えにくくなります。実験対象の動物の条件を一律に揃えて実験を行う方が効果的なのは明らかで、そのようなとき、ARMUによる動物のスクリーニングが役にたちます。ARMUは15分もあれば、精神疾患モデルマウス1匹の攻撃性の有無と攻撃行動強度および発現頻度を数値化することができます。その結果をもとに、同一程度の精神症状をもつマウスを事前に選別しておけば、明瞭な結果を導き出すことができます。このことはARMU試験に限ったことではなく、他の行動実験、たとえば高架式十字迷路試験、オープンフィールド試験、明暗箱試験、social interaction試験などの不安を定量する行動実験でもARMUによる動物のスクリーニングを事前に行い、マウスの攻撃行動の強さを指標に実験に使用するマウスの条件を絞っておけば、実験結果をクリアにすることができます。私たちは、だいたい同レベル(平均10mNsほど)の易怒性を有するマウスを20匹選別し、半数を実験群に、半数を対照群に振り分けています。多くの実験では、この実験数で明瞭な結果が得られます。
3)軽微な攻撃行動(精神症状)の変化を検出することができます。

精神疾患モデルマウスを使用して、ある薬剤を投与した後、あるいは、あるストレスを負荷した後の対物攻撃行動の変化を調べたい時、他の方法(たとえばレジデント-イントルーダー試験)では、攻撃行動がある程度大きく変化しなければ検出することはできません。これに対して、ARMUは動物のわずかな行動変化を検出することができますので、実験期間を著しく短縮することができます。たとえば、ARMUでは、上のグラフで示したように、1週間の隔離飼育ストレスを負荷されたマウスに発現する攻撃行動発現を検出できました。レジデント-イントルーダー試験で攻撃性の発現を確認するには最低4週間以上の隔離が必要ですので、いかにARMUの感度が高いかが分かります。ARMUは、他の手法では検出不可能な軽微な精神症状の変化を検出します。

私たちは、鎮痛消炎剤(例えば、NSAIDs、糖質コルチコイド、アセトアミノフェン)、オリーブオイル、DMSOなどに攻撃行動抑制作用が存在することを学会で報告しました。他の方法では、これらの物質の攻撃行動抑制効果を検出することは不可能ですので、学会で発表した私たちのデータは他の研究者には簡単には信じてもらえませんでした。ARMUを使わなければ、その存在すらも気付くことはありませんので、仕方がないことだと感じました。しかし、近々、ARMUが普及すれば、消炎鎮痛剤に弱い鎮静作用があることは、誰でも知る事実となります。月経前症候群(月経前不快気分障害)に悩んでいる女子学生が「NSAIDsを飲むと楽になるのはなぜ?」と質問してくれたことがこの実験の一つのきっかけでした。

DMSO(dimethyl sulfoxide)は薬剤の溶媒として用いられますが、DMSOには痛覚を伝えるC線維の伝導をブロックする作用があることが知られています(Evans et al., 1993)。オリーブオイルも薬剤の溶媒として使用されることがありますが、消炎鎮痛作用をもつイブプロフェンに構造が似た物質(オレオカンタール)が含まれています(Beauchamp et al., 2005)。私たちは、これらの溶媒に向精神薬を溶解して実験動物に投与し、精神疾患に対する薬効を試験した実験には疑義を感じます。今一度それらの薬剤をARMUによる試験で検証し直す必要があると思います。

左図はオリーブオイルを経口投与した実験です。対照群のコーンオイルとCMC(カルボキシメチルセルロース)は、投与後3時間では攻撃行動の抑制が認められましたが、5時間後には元のレベルに復活ました。これに対してオリーブオイルは5時間後にも攻撃行動は抑制されたままでした。対照群のコーンオイルとCMCでは、5時間後には抑制効果が失われましたので、胃内投与3時間後に見られる攻撃行動抑制は、胃壁圧迫による副交感神経刺激が原因であると推察できます。オリーブオイルで5時間後も攻撃行動抑制作用が継続したのは、オリーブオイルに含まれるオレオカンタールの作用であると考えられます。イブプロフェンをコーンオイルに溶かして経口投与すると、5時間後も攻撃行動の抑制が継続しましたので、そのように考えられます。このように、ARMUは他の方法では検出できない軽微な攻撃行動抑制または攻撃行動増強を検出することができます。

4)精神活動の雌雄差を検出します。―――
当然のことですが、情動性の攻撃行動(emotional aggressive behavior)は雌雄いずれにも発現します。レジデント-イントルーダー試験に慣れ親しんだ研究者は、メス動物の攻撃行動を計測すると聞くと驚かれますが、精神的イライラからくる怒りは人も動物も、男性も女性も共通です。易怒性を有する患者は、男女を問わず、イライラすれば周囲の人に当たり散らしますし、精神疾患モデルマウスもイライラすれば刺激棒に噛みつきます。このような心的状態は男女で、あるいは雌雄で明瞭な差があると思われますが、いざ、それを数値で表し、グラフ化しようとなると簡単ではありません。しかし、ARMUを使用してオスとメスの攻撃行動を比較すると、簡単に、明らかな攻撃行動の強度と発現頻度の差を検出することができます。これまで、攻撃行動の雌雄差を研究した論文は多くはありませんが、ARMUを使うと雌雄差が明瞭に見えてしまうので、性別を考慮に入れた研究が増えると予測されます。
下のグラフは向精神薬(ブスピロン)の効果の雌雄差を調べたものです。上段のピンクがメスマウス、下段の青がオスマウスです。投与前と投与30分後の攻撃行動強度(A,C)と攻撃行動発現頻度(B,D)を比較しました。メスでは2.5mg/kgの投与でほぼ完全に攻撃行動は抑制されましたが、オスでは、10mg/kgの投与でも完全に対物攻撃行動は抑制したとは言えません。(注:対物攻撃行動強度の基準は3mNs以上です。)

5)攻撃行動の推移を長期間にわたって追跡できます。
ARMUによる試験法は動物に与えるストレスが極めて小さいことが証明されています(Kuchiiwa & Kuchiiwa, 2014)。ARMU試験では、適切に飼育された正常マウスではほとんどストレスを感じないと思われますが、精神疾患モデルマウスにとってはストレスフルなのは確かです。ストレスを慢性的に繰り返して与えるとストレス症状は悪化しますが、ARMUは不快な刺激に対する“反射的行動”を見ているので、ストレス反応の増強は起こりません。ARMUのこの特長は、投薬やストレスによる影響を個々の個体について長期に渡って追跡調査することに適しています。
ところで、ARMU試験では、刺激棒の上昇時間を1.5秒間に設定していますが、これは刺激棒上昇の直後に起こる反射的行動のみを検出しようという意図からです。間を置いてから刺激棒に対して仕掛けた攻撃行動は反射的行動ではないので、ARMUはそれを除外しています。